ホームレスという選択もある

ホームレスと呼ばれる人については、正直あまり経験がないのでよくわからない。私が住む土地では、家がないとかなりの確率で凍死してしまうので、冗談抜きにうちの大学で解剖だ。
ただ思うこととしては、きれいな家に住んで、生活をする選択が認められるのと裏表に、そういうところに住まずに生活をする選択というのもあるのかなぁ、と。シェルターか何かを作ってそこで暮らすことができるようになっても、そこに入らないという選択もあるんじゃないのかなぁ、と。
そういう人たちが、駅前の地下道なんかにいることは、やっぱり歓迎されないことだとは思う。だけども、本当に絶対に許されないことだとしたら、一晩寝ることすらできずに、おまわりさんに追い出されてしまうのではないかなぁ、と。そんな、今いるところにバリケードを作って抵抗するほどの愛着が持てるだけ、長い間そこにいたという現実もあり、それを積極的に「許さない」とは、社会の方がしてこなかった経緯もある。それはきっと、そこで生活することが、絶対に許されない行為であると言えないからではないかなぁ、と。
並べると誤解を招くかもしれないが。ある病気が見つかって、ほとんど100パーセント治るだろうという治療法があった時でも、本人が「治療はしません」と言ったら、それは尊重しなければならない。普通に考えたらこっちがいいだろう、ということとか、100人いたら99人はこっちを選ぶよ、ということであったとしても、残りの1人の選択を保障する。
たまたま今回は、愛知万博というものに対して「競合」することになったので、色々問題ごとが起きているわけだけれども、何か具体的にぶつかるところがない限りは、可能な範囲で、相手の生き方を尊重する。そのことは、自分の生き方が尊重されることにもまた、つながっていくのではないかと連想したりしてみるのだ。
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