金を払ってでも休みたい

医者のバイトの中には、人助けの要素を多分に含むんじゃないか、と思うようなものもある。例えば、縁もゆかりもない町に単身赴任で来て1人で働いている医者を、月に1回か2回は家族と過ごせるように「解放」するために、その町に代わりで行って無医になるのを防いだりするようなことである。仕事自体のきつさの他に、入院患者がいれば病院から離れられないというきつさがある。
自分がそのバイトを断れば、あの先生が家族に会えなくなる、と目に浮かんでくるような状況で、自分の生活を優先させるかどうかは個人の考え方だ。また、自分がいないと困ってしまう患者さんが目の前にいるような状況で、自分の生活を優先させるかどうかも同様だ。都心に近づくにつれ、そうした悩みは少なくなるし、少し地方に行った中核病院、そしてその周辺はこんな話で一杯だ。
バイトという言葉だけ聞くと、労働に対してお金が動く、至極真っ当なやりとりのように思われるが、需要と供給のバランスが破綻した地方では、「金を払ってでも休みたい」という言葉が出てくるくらいの「休めない状況」と「そこをなんとか」と高額になってしまわざるをえない対価があるのが現実だ。医師でありながらこうしたことを考えずにいられる人がいるらしいことがうらやましい。
ザウエル先生のエントリーを読んで、それでも働く方の医者のことを考えたら、うらやましい、などという言葉になってしまった。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20061209#p1