死刑の目的

目的と言われると難しいが、社会の秩序を守る制度として、人を殺した人は死ぬことになっている、という約束事があり、私的復讐が禁止されているということに、死刑の意義があるのだと思う。ある人を殺したいと思ったとして、それを実行に移す際に、それだけの重みがある行為である、もしくはそうした行為であったということを、本人もしくは周りの人間が認識するためには、死には死を対応させているのだと私は考えている。
さてここで、死刑についての医療における難しい倫理的ケースを挙げる。まもなく死刑が執行されようとしている死刑囚が、致死的だが、少しの治療で死を回避できるような病気になった時に、それを救うべきかどうかということである。救うとすれば、それは何のために救うのか、またどうせ死ぬ人だから救わないとすれば、人たるものは皆いずれは死ぬ人であるがどうなのか。
もう一つ、心神喪失または耗弱者、つまりまともな判断ができないと医学的に判断された人が犯した罪は、罰を軽減するという法律がある。例えば自分の家族が殺されたとして、犯人がそうした人であったら罰せられないことに納得できるのか、逆に罰せられれば納得できるのか、満足なのか、問い直すと答えが難しいように思う。
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