2004-05-01から1ヶ月間の記事一覧
相手を認める、褒める、というのを基本にしていくのがいいと思う。かなり難しいが。
50字以内で書け、とかいう問題が非常に苦手で、満点を取ったことなんてなかったな。今じゃこんなことやってるけど。
燃焼系を思い出した。 http://blog.livedoor.jp/kiyo8/archives/661341.html
コウモリは自分の出した音のはね返りで色々認識するが、こっちが出したのが向こうに吸収されてしまうとどうにもできない。
これくらい利益追求とは離れたことにこそ意味があると思う。 http://www.mypress.jp/v2_writers/shinnkawaya1/story/?story_id=413577
自分が書いた文が、誰かに、それこそ見ず知らずの人に読まれると嬉しいし、リアクションをいただけばなおのことだ。それがまた、書くことの原動力ともなる。という一つのサイクルなのではないかと。
日常日記に限らないのだが、読む理由はそこに書かれた文があるからで、書く理由はそこに読む人がいるから、というのが素直な気がする。 http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=68818&pg=20040521
単に事前に塾で対策していなかっただけのことだろう。対策していないことで、かつ、これが正解、というのが見えないものに対しては、対応する力が非常に弱くなっている最近のコドモタチ。正解を求めて、それに合うか合わないかばかりを評価しているとこうな…
メリットとしては、両方が10分とか早くついたときに、二人ともが時間をつぶす、ということがないことだろうか。お互いの状況を報告し合いつつ、うまく調節していく。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~susume/index.htm の5/21
正直首をかしげたくなるような経緯で大学病院にまで来る人がいるが、経験が少ない医者をどう育てるのか、という問題とも大きく絡んでくる。育てる努力を怠れば、いずれ誰もいなくなる。
言葉がとうとうと流れていくなぁ、と思っていた先生が、学生時代は私と同じ塾で教えていたと知った。納得。
「何かあればいつでも言って下さいね」という台詞よりは、何かあることを先に感知して対応できることの方がいい。人間観察。
検査結果などをざっと見ると、余命がこのくらいだとだいたいわかってしまう場合がある。医者が、自分の身内が..という場面ではじめて「死」を自分のものとしてとらえた、という話をよく聞くが、これだけ日常茶飯事だと、確かに自分のものとして一つ一つを…
患者さんから話を聞くときに、向こうが言いたいことが少ない方が、むしろ不安になる。長いのを整理するのは、学生くらいの時間があればまだできる。病気が少ないならいいことなのだろうが。
特に大学病院においては、自分の科の分野でないことがわかると何もできない。とすると、どの科にかかるかが一番問題となるが、その振り分けはあまり重視されていない。システム的にも、医者のトレーニングとしても。
教育において、教官が全力を尽くした場合と、教官が適当にやっつけた場合の差分を取ると、教官の貢献度がわかるはずだが、思ったほど大きくないような気がする。
教育が発展しない理由だと思います。その分野の専門家で、教育の素人がやる講義は、案外実が少ない。 http://www006.upp.so-net.ne.jp/hasep/WELCOM.HTM の5/19
駅にて、違う駅に問い合わせるため番号を聞いて、端末に入力しようとしたときに「お客様、携帯電話のご使用はご遠慮ください」「これはPHSなんですけど」「発券の機械の画面が乱れると大変ですから」「電波の強さが1000分の1なので絶対乱れないですが」「…
研修医の給与も、本来2年とか3年のスパンではなく、もっと大きく取り戻していくもののはずだ。ところでOJTって何ですか? http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=94110&pg=20040518 http://www.mypress.jp/v2_writers/reiko_kato/story/?story_id=408851
その人のためにこれができる、とわかっている状況でも、それをした方がいいのかはまた別の判断を要する。
携帯用を探しています。 http://www7.plala.or.jp/office-m/flash/gaku/gabutton.html
集団の大きさと、個人の発言頻度は反比例するが、個人の中で設定される「このくらい発言しようかな」というラインが変動する、ということかもしれない。
話に花が咲かないよりはよほどいい。まとめるのは、まとめる人の仕事であって、圧倒されるくらいの材料にはむしろ憧れる。
誤解されることにひるまず書くが、身体的なことを扱う分野だけに、プライベートでの経験は重要だと思う。
その場所・人に触っていいのかどうか(清潔か不潔か)、今患者さんは覚醒しているのか入眠しているのか。
自由度が高い話し合いほど、それが有効な気がする。自分が話しすぎるか、他人を話させようと気を遣うかの私には、なかなか魅力的に映る。 http://chiharu.cside4.jp/mds/2004/05/index.html#18
この記事の通りならば、循環させて塩素漬けになる似非温泉はずいぶん減るだろう。 http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20040517i505.htm
他人に説明できないものは、自分の中でもごまかしが入っている、と考える習慣をつけたいと思う。
おそらくだが、写真から伝わってくる情報を文字化するだけでは良くなくて、その情報とタイトルの文字情報を融合したときに、何かよりいいものが生まれてくるのが良いのだと思う。 http://ramblefish.pos.to/daily_notes/swd.cgi の5/17
冗談を言う習慣は、どうやら私が育った家庭の雰囲気によるようだ。ほんとに、くだらないと思うのだが、まぁ面白い。