呟
明らかに実力差がある時に、素人の立場から専門家に対して「全てあなたの言う通りにします」と言うのも癪だし、しかし生半可の知識でかかっていっても、その質問設定自体が、どうも大きく外れているようなことにもなる。その時に専門家がどういう対応をする…
英語版を持っているのに、「おっ、いい本がある」と思って日本語訳版を買ってしまった。読んでないことがバレバレ。
メンターとして一緒に働く相手と同じ方向を向いていないことが非常に残念だ。
休みに休んだためしがない。
残業時間が徐々に増えてきている。
天気が悪いことが多い時と、天気の移り変わりが速いな、と思う時。もう少しで半袖の季節が終わる。
24時間病院に行かない、ということは、学会出張か、年に一度の夏休みくらいしかない。
7月の七夕を経験するのは生まれてから今日が初めてだ。
毎月そんなことを言っている気がする。
睡眠時間を確保することを優先するとblogを書く時間を確保できない平日。
北海道から出ると国が違うような気になることがある。
大衆向けの「温泉」に行き、帰りにその足で納得できる「温泉」に入り直して家路につく。
自分が仕事に誇りを持てていない時なのかもしれない。
日頃ハードワークなのは構わないが、常にハードワークであるとさすがにしんどい。
5分で終わってもいいような胃カメラを、技術が未熟なために30分もかけてしまったら、患者さんが「丁寧に見ていただいてありがとうございました」と言った。短時間で終わるのが売りの理容店で、いつもよりも仕上げにかける時間と入れるはさみの数が多かっ…
世の中には、プロの腕でもないのにプロと振る舞う人がいて、そこにはプロの腕を評価せずに(当然プロじゃない腕も評価せずに)対価を払う消費者もいる。
外傷分野の講演に来ていた先生が言っていたのだが、CTとか詳しい検査をした上で転送されてきた来た人は助かる可能性が低くなるが、レントゲンなどの簡単な検査だけで転送されてきた人は、全然重症じゃないことだって中にはあるが、素速い対応によって助か…
年収いくらで「医者が集まらない」とか「やめる」とか言われる状況は、少なくとも北海道ではよく耳にするのだが、医者個人から見ると「その金額ならもっと楽な職場がある」であったり「そのつらさなら、もっと給料が安くてもつらくない方がいい」という構図…
はるばる車を走らせて山まで来た結果が、塩素まみれの温泉に入り、プールくさいんだろうかと。
海にも行かず、日に焼けていない白い肌が、筋肉成分よりも脂肪成分が増えてきているのを見て、思うのだ。いったい何のために仕事をするのだろうかと。 それは、患者さんがそこにいて、そういうニーズがあるからなのか、それとも単に、自分のスキルアップのた…
寝る暇もないくらい忙しい、というのは、寝るギリギリまで調べものやまとめるものが続いていて、そんなわけでblogに届くだけの時間がないこの頃だった。
他のサイトでの意見に対して、特にリンクも張らずに批判的なことを書く人が、最近では増えてきたように感じる。論争とか議論ではなく、陰から「それはどうなんだ」って言うだけ。かつてはそんなことをネット上に晒す方が恥ずかしかったが、これだけblogが増…
blogのコメント欄だけではなくサイトのメールフォームとかにも来るんだな。ちりんの部屋もblog扱いされていた、出会い系アフィリエイト。
現在「僻地」に来ていて、町に出ると日曜に休む店も珍しくなく、休みや夜に病院に来る患者や家族が「休みなのにすいません」と言うこともままある。コンビニ医療、つまり夜間や休日も普段と同じ医療を受けられるという考え方が増えてきた、という考え方は、…
日本語が不自由なのか、文字通りのことが伝わらないこと。一方で、状況に応じた裏の意味が伝わらずに誤解されること。 「最近の医師逮捕問題を見ていると、医者をやめたくなる」と書いたときに、「医者をやめたい」というのが言いたいことなのか、「医師逮捕…
不規則かついつ呼び出されるかわからない立場にいると、そうではない真っ当な人たちと「約束」ができなくて困る。家の修理とか、家に何時頃伺えばとか、そういう話になるたびに、ある女医さんが「奥さんが欲しい」と言っていたのを思い出す。
元々メダルが取れそうにない人たちを持ち上げて、それを落としているだけなんじゃないのか。つまり、メダルが期待できる、という予想をしている人がまず間違っているのであってだ。
この日に対して自分がどういう立場か、などという強いものはなくていいから、どういう由来の日で、日本にはそれに対して賛成の立場の人と反対の立場の人がいることくらい、わかっていてもいいと思うのだが。それ以前に「今日は何の日だっけ」とかなぁ。。
今年中に帰す、というのが目標の患者さんを何人か担当している。
例えばその事件とか、その話題とか、言及する側になったら、内容が非難していたとしても、片棒を担ぐような格好になるのであえて触れないという判断をしているものがある。例えば、と例を出すのも憚られる。