宝くじ2億円を寄付

江戸時代に、金銭的に困った近所の人が集まり、各々が窮状を述べあった後で、少しずつ持ち寄ったお金を抽選で一人が総取り、という話って、宝くじの起源じゃなかっただろうか。う「ろ」覚えだし、検索しても違うのが出てくるけれど・・

病めるときも健やかなときも

その人の力になりたい、というのは、結構根元的な感情だと思うし、自分の中でそういう感情が湧いてこなければ、どういうつきあい方であれ継続できないと思う。
http://plaza.rakuten.co.jp/mocomoco3/diary/200407100000/

いい研修を受けるためには

既にいいシステムが動いているところか、いいシステムにしようという動きが実効持って動くところか、であろう。しかし何事もバランスであって、なんでも研修医の言いなりになるのであるとかでは良くないし、病院のその他の要素も大きく意味を持っている。結局は、人と人との思いやり(思いを遣ること)ではないかと逃げてみる。
http://d.hatena.ne.jp/doctake/20040723#p3

あやとり

二人あやとりは一人ではできない。相手が取れない難しいことをするとダメだが、簡単なことばかりだと飽きてくる。難しいのは、何度かに一度は失敗する。いずれにしても、相手あってのことであるから、相手の力量をよく見極めて交互に手を出すのは、コミュニケーションとか、人付き合いにも応用できそうな考え方だ。原典は恋のあやとり。

うる覚えとうろ覚え

記憶が曖昧なことはうろ覚えであってうる覚えではない。という指摘を、6月に某読者さんからいただいてこっそり直していたが、今日も違う読者さんから同じ指摘をされた。恥さらしのため、5つ上を訂正し、ここにその事実をさらしておくこととする。虚ろ(うつろ)と語源が同じとかなんとからしい、とかじった知識を書いてごまかしてみる。

物言えるかどうか


 こういう話を読むたびに、「結婚というのは怖いなあ」なんて、つい考えてしまうのです。本人同士の気持ちはさておき、こういう「おせっかいな周囲の人々」との軋轢でストレスを抱え込むカップルというのは、本当に多いんですよね。
私が結婚に恐れを抱かない理由の一つは、自分の親だろうと相手の親だろうと関係なく、言うべきことは言うし、それで問題があるならその関係自体を持たなくていい、と思っているからだ。
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20040725

違和感って何だろう

誰から見てもおかしいわけではなくて、むしろ普通に見ると正しくて、でも自分の頭の中で期待するものからはずれている部分だったり、よくよく読むと、違う表現に置き換えたり、最悪なかったりしても大丈夫な言葉だったりするのかな、と。言葉と理屈で割り切ることにこだわりを持っているがゆえに、「違和感がある」という表現しかできない自分がちょっと悔しい。

人名用漢字の是非

病院にいると子どもの名前もよく目にするが、お洒落なものが増えてきている印象がある。私の名前も込められた意味はそれなりにあるが、音とか使う字の今風な感じには驚くばかりである。しかしまぁ、それはそれで、認めておいて取り消すのはみっともない。
http://www.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=31174&log=20040724