それっぽくなんとなく適当な料理

何しろ、「なんとなく適当な味の中華炒め」を作らせると、私よりだんなの方があきらかに上手い。八宝菜とかあんかけ焼きそばとか、あんかけ丼みたいな味の「なんとなくそれっぽい中華味」がそりゃもう見事にそれっぽい味になるのだ(スープとかオイスターソースとか使うらしいんだ……)。
わかるわかる。私もそういうのが得意。回鍋肉風とか、麻婆系とか、あんかけ系とか。二度と同じものを作れないけど、おいしいからいいのだ。
http://www.seria-yuki.com/diary/index.html の1/13の夜

副作用があるからやめる

コレステロール値が下がったからやめる、病院に行く時間とお金を考えるとやめる、ならわかるが、「副作用チェックのため3カ月に1度採血検査を受けなければならないような危険な薬」だからやめる、という理屈には賛成できない。可能性は低くても何か異常はないか、別な病気があった時に早期発見できる、などという「親切心」で提案した血液検査がこういう結果を招くのは、医者の言い方の問題なのだろうかと真剣に悩まされる。車にたとえれば、めったに故障しないんだから6ヶ月点検も1年点検も車検も全部受けない、と言っているようなもので、車のように巻き添えで赤の他人に迷惑をかけることはないかもしれないが、その修理代の7割ほどは、真面目に点検を受けている人も払う保険でまかなわれる。
http://www.geocities.jp/hasep_diary/WELCOM.HTM の1/13

二度と来るな

どんな内容だったのか気になるな。医療関係者なら誰でも「二度と来るな」と言うような内容だったのか、ただ単にその医者の傲慢だったのか。だからと言って書いていいということにはならないのだけども。緊急手術の「この緊張感がたまらない」というのは、日記にはよくありそうなセリフだが、医者は書いてはいけないことだ、という報道姿勢のようである。難しいよな、何の緊張感もない、とか書くわけにもいかないし。医療というのは神聖なる仕事であって、ただ淡々とこなし、そのことを誰にも語らず粛々としているべきである、ということなのだろう。でも、治療内容を書いていくようなHP、って、やっぱりどうなんだろうなぁ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050114-00000071-kyodo-soci
こちらでも → http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20050114#p4
こんな内容らしい → http://www.sankei.co.jp/edit/kenban/ibaraki/html/kiji01.html
「二度と来るな」は、後に続く「って言ってやりたい」を省いたらダメだろう。石原都知事のテレビ発言じゃないんだから。いや、それでも肯定できるとは言えないが。うーん、医者同士のおしゃべりだとすれば、(←これ、非常に重要)あるんじゃないのかなぁ。油ものを食べると腹痛が起きるとわかっている人が、油ものを食べて腹痛を起こして来たら、どう思って、何と言う? 

効果がある?

しかし、こういう報道が的確になされるかどうかは、医者が監視するしかないのだろうか。数字の読み方くらいであれば、その気さえあれば少しのトレーニングでできそうな気もするが。
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20050114#p1

守秘義務とか

この間実習中に、69歳の男性の患者さんが病院で血を吐いて亡くなった場面に遭遇した。聞けばずっと肝硬変で何度も治療を勧められていたが、頑なにそれを拒否して、ここ何年も病院に来ていなかったという。確かに倒れた時の対応は、必ずしも素早いものではなかったところはあったが、一緒にいた家族が「処置が悪かったから死んだんだ、訴えてやる」と言っているのは、全く相手にする価値もない。そんなのは肝硬変を放置していたただの自業自得だと思う。
さて、↑上に書いたもの↑は全くのフィクションであり、ただの思いつきであり、全く事実にはないことなのだが、そういうことを書いた場合は責められるのだろうか。守秘義務に反しているような印象を受けるが、誰の秘密も漏らしていないわけであるし。また、書いている内容が、医学生としてあるまじきものであり、という非難は、どうなのだろうか。それが、医者とか医学生ではなく、たまたまそこに居合わせた人とか、そういう話を耳に挟んだ人が「こんなことがあったと聞いたが、それは自業自得だろうと思う」と書くのはどうなのか。すると、医者とか身分を明かさずに書いていればどうなのか。
私も実習で感じたことを全く書かないことはないが、そういう配慮をしていたり、その当人にその日読まれても構わない、というラインを自分で作っているつもりである。しかし、本人が特定できない形でなら書いてもいい、という発想が正しければ、最初に書いたでたらめな例を書くことも許される、ということになるのか、それとも違う判断がそこには働いてくるのか。